少子化。

少子化が止まらない現実。

日本は少子高齢化社会と言われています。それでも連日のように待機児童問題などがニュースに取り上げられ、少子化なのに望んでいるサービスが受けられない現実。

政府はこの少子化を食い止めるために、保育園の数を増やす・保育士の待遇を改善する・教育費の無償化・・・などを検討しているようですが、問題の本質はそこではない気がします。

実際に待機児童問題は日本だけの問題でなくヨーロッパでも同様です。そして子供が生まれるのだからそれに伴って出費が増えるのはある程度予測できること。しかも出産自体にかかる費用は全額ではないものの大部分は保険でカバーできるようになっています。

 

では何が一番問題なのか。

 

それは結局のところ、人々の寛容さと意識の問題だと思うのです。

 

幸せ自慢と捉えられるのが怖くてマタニティーマークをつけられない。バギーで電車に乗ったら迷惑そうな顔をされる。子供が風邪を引いて会社を早退したら文句を言われる。欠勤はなおさら。そしてこれらの経験をするであろう人は、ほとんど母親であり父親ではない。疲労してもシッターに頼ることに罪悪感があるのは、育児は母親が担当して当然という認識があるから。

 

もし会社を早退/欠勤したら・・・もちろん他の人にしわ寄せが来るので、子供がいるということに甘えすぎるのはもちろんやってはいけないこと。でも子供が生まれれば今まで簡単にこなしてきたことが愕然とするほどできなくなります。当たり前のことかもしれませんが、これを本当に理解して受け入れている人は多くないと思います。

 

私は日本社会には「共倒れ精神」が美化してはびこっていると思っています。

 

「みんな疲れているのに頑張っているんだ。私だけじゃない。もっと大変な人だっている。だから私も弱音を吐いちゃいけない」

確かにみんな頑張っているとは思いますが、だからといって自分も苦しまないといけない理由にはなりません。

 

「こっちは仕事で疲れているっていうのにマタニティーマークなんかつけて幸せそうにして!」と思ってしまう人は、自分が疲れているんだからあなたも辛そうにしてよ!という共倒れを望んでおり、

「私は体調悪くても休めないのに、子供が熱を出したから早退?いいご身分ね!」と思ってしまう人は、あなたも子供も体調不良で苦しみなさいよ!という共倒れを望んでいるのです。おかしいですよね。これでは負のループから永遠に抜けられません。

 

とりとめのない長文になってしまいましたが、保育園を増やし保育士の待遇を改善しても、日本国民の意識が根っこから改善しない限り、表面的な解決策にしかならないと思います。

意識改革というのはルールで示すことができないため本当に時間のかかる問題だと思います。また、日本の政治家は積極的に育児に関わってこなかったであろう高齢男性が多くを占めるめ、政治家が国民にお手本を見せてくれることはまず難しいでしょう。

 

私たちが小さなところから意識を持って生活していかなければなりません。そして次の世代にこの負のループを受け継がせないように、自分の行動や考えを振り返って改める必要があると思います。